被災地無料税務相談に参加して

相談にきた65歳の彼が私に見せたのは、被害を受けた自宅の写真だった。震災後、最初に仙台市が発行した「り災証明」は「一部損壊」だったという。彼が私に発した最初の言葉だった。
「これ見てけろ。これのどこが一部損壊なんだ。俺は行政は信じねぇ。弁護士や税理士も悪徳と思ってる。一部損壊では仮設にもへえれねぇ。おら達家族3人はそれぞれ親戚を頼ってバラバラになった。親戚も最初は大事にしてくれたけども、1ヶ月もすりゃ冷たくされるんだべさ。おらが頼って行った妹は辛抱してくれたども、妹の旦那が夜になると酒食らっておらに罵声を浴びせかけるんだべさ。そんなとこ、いられねぇべさ。わかるか先生。この家でどうやって住めばいいんだべさ。おらも息子も娘も辛抱したさ。だけどもさすがに3ヶ月もすっと辛抱しきれねえさ。娘が親戚の家を飛び出したと聞いて息子と一緒になって捜したさ。娘めっけて弁護士に相談して市役所に文句いったら、被災状況の再調査とやらで、もらった「り災証明」になんと書いてたと思うべ。「全壊と大規模半壊」だべ。そんならなんで最初からそうしてくれなかったか?それも「り災証明」がおりたのは8月だべ。やっとこさ仮設にへえれたというのに娘は愚れたままだべ。崩れかけた塀を壊すにも金がねえから近所からは文句も言われ冷たくされるしどうすることもできねぇさ。仕方なく、土地を手放したさ。やっとこさ手元にまとまった金がへえってきて、それで今までの借金も全部返して今手元にはわずかしかねえのに、周りからは800万くれぇ税金がかかると言われ、ここんとこ、夜も眠れねえんだ。先生、本当に800万も取られるっぺか?そんだことになるならおらは首吊るしかねぇ。これ以上、息子や娘に迷惑はかけられねぇ。そんなおらを見て息子が無料相談があるからと今日は息子に連れられてやってきた。先生どうにかしてけろ」

私ももらい泣きしながら同席していた息子さんに「今日はお父さんに美味しいものをご馳走してあげてください」と言うと息子さんも丁寧にお辞儀をしてお父さんの肩を抱くようにして相談会場を後にしました。
ぜひこの経験を大切にし、これからの税理士業務に活かしたいものです。